こんちは。 時短設計®研究所、所長のけたろーです。
さて…
生産工場の在り方が変った。
あなたの生産現場は、きちんと「対策」されてますか? って、何の対策?? と思われるかもですが…
「対策」 してますか?
コロナ禍で、生産現場として見つめ直すべきことが浮き彫りになったと思うんです。 それは、〝時短〟と〝ソーシャルディスタンス〟です。
感染症対策の一環として、ロックダウンや外出制限などが発令されたのは記憶に新しく、また、緊急事態宣言で企業側への時短労働も求められました。 生産現場も例外ではなかったですよね。
対策とは、感染症とか、その他、もろもろの疾病対策と、非常事態になったときへの対策です。
生産現場には特有の問題が。
もろもろの対策を考えた時、生産現場には特有の〝問題〟があると思うのです。
コロナのような事態が発生する以前には、それは特に〝問題〟ではなく、むしろ、当然なことでした。 何かというと、生産現場では〝物理的な労働〟を伴うということです。
パソコンなどをベースにできるような仕事であれば、現場に行かなくてもテレワークで対応することができます。 でも、生産現場は、絶対的に無理です。 製造現場もしかりです。
「ものづくり」という業態は、〝ベース(拠点)〟がないと仕事ができないのです。 むろん、ボクも同じく、工場という場所がないと仕事ができない部類に入ります。
それに加えて、労働時間に制限がつくとなれば、自社としての生産活動の在り方を根本的に見つめ直す必要があります。 どうすれば、時短が図れるのか? それを考えていく必要があるということです。
人の配置の問題。
ソーシャルディスタンスという面ではどうでしょうか?
ボクが知る限り、〝人海戦術〟で仕事をされている場合、ソーシャルディスタンスと言う面では少し… というか、かなり難しいのではないか? と思うんです。

ここだけのハナシ…
先日お伺いした某社さんでは、場内の作業は人海がベース。 何十人もの人が作業されている様子でした。 確かに、作業場内への入室は、エアーシャワーを経て… とはなっているものの、〝密〟であることには変わりなかったのです。
長いコンベアに一列になって作業されている様をみていると、〝ソーシャルディススタンス〟が守られているとは全く言い難いものがあります。
飛沫感染のリスクを考えると2mの間隔を! と言われるみたいですが、作業場で2mの間隔なんて、とてもじゃないけど無理ですよね。 それに、受託のような仕事では受ける仕事が多岐になり、機械化をするのも難しいみたいです。
昔もそれなりに…
コロナ禍になって、いろんな面が浮き出てきたという感じを受けます。 感染症でいえば、インフルエンザなどもそうなんですけど、今までは特に問題がなかったんでしょうね。 インフルエンザに限らず、ノロとか、ロタとか、消化器系の感染症もありますよね。 あと、麻疹とかもそうです。
小さいお子さんがいるスタッフを思うと、子どもが幼稚園からもらってくるリスクはかなり高い思います。 ということを思えば、生産現場と言えど、作業中での感染のリスクはゼロではないんですよね…。
なので、工場側が主体的に対策をとらない限り、〝暗黙なリスク〟の上で作業をするということになるのだと思います。
人手の作業(人海)が、本当にいいのか?
それにしても、もう少し考え様があるのではないか? なんて思ったりします。 コロナという〝貴重な〟体験をしたからこそ、見つめ直すことが多いと思うんです。
そもそも、 「人手(人海)の方が、早いやん。」 っていう考え方がどうなの? って思うんですよね。
そういう考え方が根強くあって、ある種の作業によっては的を得ている場合も確かにあります。 でも、〝密〟を避けるという中で、人海戦術という考え方が〝是〟であるか? と言えば、『?』と思ってしまうのは、ボクだけではない… と思いたいです。
恐らく、多くの方が、ある製品に対して、まさか、人海という多くの人手で製作されているなんて、これっぽっちも思っていないのだと思います。 どんな製品であれ、概ねものすごく整った環境で、最小限の人手で、なんなら、完全に自動化された状態で、それが作られている… のだと思っているのだと思います。
そんなイメージがあるからこそ、スタッフに対しても、それを扱うお客さんに対しても、クリーンであってほしいと願うんです。
ボク自身、色んな生産現場を見てきたからこそ、そういう感情が特に強いのかもしれませんけど。
価値観は変わっていく。
コロナという出来事で、今までになかった価値観が生まれ、今までとは違った考え方や対応が迫られているのだと思います。だからこそ生産現場に対しても、視点を変えてみてみるということが必要なのではないでしょうか?
そのひとつが、 作業してくれているスタッフのお陰で自分の会社が成り立っている というの視点です。
その視点で考えれば、働きやすく、安心・安全な作業環境を提供・維持するのが経営者側の責務であり、また、社員のみならず、パート・アルバイトを含め、そこで働いてくれている全てのスタッフさんの健康や労働環境をケアすることが、運営する側の使命であると思うのです。
とするなら、おのずと、〝生産現場としてどうしていくべきか?〟の方向性が見えてくるはずです。
もう少し加えると、生産現場では、概ね、〝過去からの考え方〟を踏襲される場合が多いような気がしています。 それは創業者、あるいは先代の頃からなのかもしれないし、もしくは、自身の過去の成功体験のような経験がそうさせているのかもしれません。
基本的に、人は〝恒常性〟を持つ生き物だと言われています。
恒常性とは、つまり、『同じ状態を好む』ということ。これは〝変化を嫌う〟とも言えます。
変化することへのリスクを考えれば、自己防衛的に恒常性を発動して、今までと同じ状態を維持していくことの方が安全で楽なのかもしれません。
でも、逆に、それが一番危険なのです。 どういうことか? というと…
大事なのは、適応力。
全てが変ろうとしている中にあって自分だけがそこに留まり、変わらないとするなら、淘汰されてしまう可能性があるということです。 その〝変化〟ということに対して拒否感や抵抗を抱かれるのであれば、将来、取り残され、存続すら危うくなってしまいます。
大切なことは、変化に抗うのではなく、【適応】すること。 周りの状況に応じて、柔軟に適応していく。 今がそんな状況なのだと言えます。
在り方を見つめる。
時短を行いながら、ソーシャルディスタンスも確保する…。 一見すると、難しいように思えますが、実は、それほど難しいことではないんです。
恐らく、いろんな方法があるはずです。
その方法の一つが、機械の導入です。 人手の作業を機械に置き換えることができれば、それだけで、ソーシャルディスタンスは確保できるはずです。 なぜなら、その分、人のスペースが減るからです。 また、機械によって、〝時短〟も実現できます。
しかし、機械を導入されるに際しては、ひとつだけ注意したいことがあります。
それは、ゴール設定です。
時短とソーシャルディスタンスを計るために、単なる現状の延長線上で機械を導入とするなら、恐らく失敗します。 なぜか? といえば、それは対処でしかないからです。
先にも書いたように、人は恒常性を好みます。
知らず知らずのうちに元に戻ろうとするのです。 その災禍が一段落すれば、たぶん、また元の状態になるでしょう。 そして、また禍が起きて… 同じことの繰り返し。 それって、適応とは言えません。
自分の想像力をフル活動して、将来をイメージして状況に備えることが大切です。
その上で、明確な〝ゴール〟を設定し、将来にわたって、どう在るべきか? を想い描き、そこに向かって機械という〝手段〟で対応していくということがポイントになります。
例えば、機械に対する生産能力などについて言えば、今の生産数がこれだから、機械も同じくらいで! ではなく、少し多めに設定すれば時短につながりやすくなります。
重要なのは、今を基軸に考えるのではなく、将来に渡って生産現場としてどう在るべきか? ということです。
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